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今年も終わり。

2010年もまもなく終わろうとしています。

毎年言っているような気がするけど、今年も激動の一年でした。



3年間の留学の集大成となった上半期。演奏の場をたくさんいただいて、演奏する喜びをいっぱい味わいました。

そして帰国してからあっという間の半年弱。長すぎた学生生活(学生気分?!)から抜け出せず、なかなか目に見える成果が出なくてもどかしい日々でした。

それでも沢山の方々と会い、一緒に演奏させていただきました。
一つ一つの出会いや関わりはすべて綱渡り、決して当たり前のように起こっているわけではないんだなと実感しています。

目の前に居てくれる人に感謝して、楽しむ気持ちを忘れずに、来年も頑張っていけたらいいなと思っています。



来年6月には帰国して初のソロリサイタルも決定しました!!!!やる気がわいてきます。
また詳細はアップします!


皆さま、今年一年本当にありがとうございました。
良い新年をお迎えください。





8月15日

8月15日は終戦記念日です。同時に日本が敗戦した日でもあります。

私のような戦争の経験がもちろんない若者が何を言っても何も変わらないことはわかっています。
ですが、気付いたことが一つあります。
それは今まで戦争について何も知ろうとしていなかったこと。

きっかけは偶然本屋で手に取った『永遠のゼロ』(百田尚樹著)という小説。
零戦や神風特攻隊の話を中心に、太平洋戦争の歴史を追ったものです。
いろいろな戦争の書物やドキュメンタリーがあるけれど、この小説はその歴史をもとにある主人公の生き様をフィクションで描いています。

戦争の話は何万人もの人が亡くなったとか、空襲にあったとか、言葉で表すと簡単で
それはもうすでに知っているので、それが実際にはどういうことなのかということまで思い至らないのかもしれません。

だから最初は本当に戦争はむごいなって想いだけで読んでいました。
そして美談すぎるな~なんて思いながら。


でもその少し後にある番組の戦争ドキュメンタリーで、本の内容に出てきた
零戦の映像、ミッドウェー海戦やガダルカナルの銃器戦の様子が放映されていました。

その時に、初めてこれは本当に64年前に実際に起こったことなんだと衝撃を受けました。
頭でわかっていることと、そこに生きていた人々の姿が結びついたのです。
通り一辺倒の知識だけでは理解できない。ただ戦争でどのような被害を受けたかを知っただけでは、本当に戦争の姿を知ることはできない。当時人々の心を知ることはできない。



私たちは何も知らないのです。


もう一度本を読み直してみることにしました。

私たちはこれから、自分より若い人たちに何を伝えていけるでしょうか。






本を読む人、本を書く人

本を読むときは、普通ある程度のスピード感を持って読んでいる。

そうでない限り、頭の中で内容を組み立てていくことはできない。特に小説などを読むときは一文一文分析しながら読んでいては、話の筋をつかむことはできない。



今論文を書くという慣れないことをしているが、下手なりに試行錯誤しているうちにだんだんこう書けばいいんじゃないかということを思いついてくる。


ある新しいアイディアが思いついた時にそれを紙に書く。(パソコンに打ち込む)
しかしそのアイディアに至るまでの過程を自分はわかっていても、読む側にとっては唐突に訪れることになる。
新しいアイディアを提示した時、それを読む人に納得させる必要がある。
納得させる文章が書ければまったく問題ないが、なかなかそうもいかない。下手だから。


そこでスピードが出てくる。
あるアイディアに対して、それを説明する内容はともかく、長く時間をかける(たくさん文章を書く)分だけ読む人の印象を深めることになるのではないか。
それはアイディアが斬新であればあるほどである。


そのためにはいろいろな比喩や異なる側面からアイディアを照らす方法を知っていなければならない。

しかし難しく考えるとさらに問題は複雑になる。



なので音楽にたとえてみることにした。

曲想や音色が変化し、それをどうしても聴く人に伝えたいとき
変化した後の状態を保っていない限り、それは変化したことにはならない。
聴く人の耳に届いて、ホールの空気感が変わるのを体感するまでに流れている時間は
変化する前との落差が大きいほど長いはずである。

演奏者は変化する瞬間、聴く人と同じように感じていないと、聴く人と同じ時間は過ごせない。
演奏者にとって予想されていた変化でも、そのときは初めてその変化に出会ったように感じていたいのである。


全く異なる分野の話だが、
文章あるいは音楽を媒介にして
時間の流れを共有しているという点では、同じ思想があるのかもしれない。




リニューアル

clara haskil 006


Veveyより帰ってきました。
今回はセミファイナルには残ることはできませんでしたが、とても貴重な時間とたくさんの人からの言葉をいただきました。それについては順次更新していきたいと思います。

さて、3年ぶりくらいに、ブログリニューアル。
今までなぜか2つのブログを管理していましたが、一つに統合することができました。
プロフィールや過去の演奏会情報などもまとめてみましたので、ぜひご覧ください。

綱渡り(走り書き)

自分の表現したい音楽が人に伝わる時って単純なようでものすごい偶然が重なっている。

友達と話していて、ある音楽関係者がこんな話をしたといった。

「人前で演奏している時って綱渡りの状態だ」


ある曲を完全に理解し、技術的にも音楽的にも準備が整った。
でもすべての要素がそろっているだけでは、人には伝わらない。


綱渡りする人を見ているときって、不安定ではらはらする。
綱渡りをしている人は完全にバランスがとれている。
でもそれをあたかもやっとこさやってのけたように演技して見せたりする。

もしこれが普通に道を歩いているところを見せられても何も面白くない。



音が出る瞬間というのは、用意されているようで、まったくそうではない。
流れていく時間の中で、今この瞬間に自分が選びとって響かせる。
その瞬間の連なりで音楽はできている。


すべての音が時と偶然出会っている。

だから、予定されているものなど一つもない。

同じことも二度と起こらない。



もっともっと音を出す瞬間を大切にできる。
プロフィール

Mari Kawagishi

Author:Mari Kawagishi
川岸麻理

ピアニスト。ダックスフント大好き。

神奈川県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学音楽学部を経て、同大学院修士課程ピアノ専攻を修了。2007年秋よりスイス政府奨学生としてチューリヒ音楽大学のソリストディプロマコースに留学し2010年に修了。

東京藝術大学卒業時に同声会賞受賞、同新人演奏会に出演。第75回 読売新人演奏会に出演。社団法人日本演奏連盟主催により東京文化会館小ホールにてピアノリサイタルを開催。
現代音楽室内楽国際コンクール(ポーランド)デュオ部門第3位。第19回カントゥ国際ピアノコンクール(イタリア)第2位。東京藝術大学大学院修了時に東京工業大学の入学式演奏会にソリストとして推薦され、東京工業大学管弦楽団とコンチェルトを共演。Musique en Valle du Tarnにピアニストとして招聘され、南仏にて連続ソロリサイタルを開催。

これまでに、Winterthur Musikkollegium、Orchestra Filarmonica "Mihail Jora" di Bacau 、東京工業大学管弦楽団、横須賀交響楽団、ヤマハ池袋吹奏楽団と共演。
Duo Epitaph(デュオ・エピタフ)、Ensamble Resonance(アンサンブル・レゾナンス)に所属。ヤマハ主催浜松管楽器アカデミー公式伴奏者。
現在、ソロ、室内楽及び伴奏等で国内外における演奏活動を行うとともに、後進の指導にあたっている。

詳しいプロフィールはこちら

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